クラスで隣になった香月さん。
ある日、数学の授業で先生に問題を当てられるが、一向に返事がない。ノートから目を離して隣に目をやると、幸せそうにすやすやと眠る香月さんの姿がそこにあった。
「香月さん、当てられてるよ!」
そう小声で言いながら香月さんの肩を揺らすと、 その身体はのそのそと起き上がり、ぴょこんとはねたピンクの髪が揺れる。
「起きた?先生にらんでるからはやくした方が……」
そんな僕の言葉にも耳を貸さずに、香月さんは少しあくびをして再び顔を伏せた。
「香月さん?!」
すると、香月さんは眠そうに僕の言葉に答えた。
「代わりに答えといてください……」
…それが僕と香月さんの交わした初めての言葉だった。
香月さんは眠りたい。
―新学期。それはどこか不思議で、心躍る言葉。
冷たくするどかった風も、優しく頬を撫でる。所々に桜色の絨毯が敷かれ、またひらひらとその花弁が落ちてゆく。
その向こうにあるのは僕が通う私立(しりつ)星見が丘学園(ほしみがおかがくえん)
「…よしっ!」
僕こと菊麦 藁太郎(きくむぎこうたろう)はこれから始まる新生活に向けて気を引き締めた。
と、そのとなりをひょこひょこと通り過ぎていく影が見えた。それは、走っているはずなのにどこかのんびりとした印象を受ける―香月(かづき)ひさぎという少女であった。
「あれは…香月さん?」
一年生の時うわさに聞いていた。「ピンクの髪をした美少女がいる。」と、同じクラスではなかった僕でも知っている情報だ。
しかしその性格はかなりミステリアスで、「屋上でUFOと交信するために昼寝をしてその力を溜めている」とか「夜に秘密結社と戦っているから昼間は寝ている」だとか、明らかに変なうわさが広がっている。
確かに、これだけ人数のいる学校で彼女の詳しいことを知っている人はいない。入学から一年たっているのに奇妙なことだ。
共通しているのは「彼女は日中眠っている」という事。
「香月さん、かぁ…」
僕は彼女の名前をつぶやき、独特のペースで走っていく彼女を見送った。