…なんということだろうか。
新しいクラスにはしっかりと馴染めた。友人と呼べる人も何人かできた。
席は窓側一つ隣の左の最後列。いわゆる、第二のベストポジション。内職もできれば、少しくらい寝てもバレないだろう。
しかし「彼女を除けば」である。
一番左の最後列、窓側の席。どんな生徒も望む最高の席で、彼女は寝息を立てさっそく眠っていた。
―そう、香月さんである。
二限目の英語の時間。彼女は小テストを素早く終わらせたかと思うと、他の生徒がテストに苦戦している中すやすやと眠りはじめた。
四月の初旬、もちろん最初は彼女も先生に怒られていた。
しかし彼女が提出するテスト用紙には毎回赤丸が並んでおり、先生は彼女の行動についにぐぅの音も出なくなってしまった。
彼女はどうやら勉強がよくできるタイプで、才色兼備・文武両道と、とにかくもの凄い才能の持ち主だった。もちろん男女にも人気があり、ファンクラブまであるとかないとか。
しかしその人気とは裏腹に、彼女の周りには人だかりがあるわけではなく、休み時間は寝ている香月さんが、まるで教室の一部になじむようにそのうっすらとした存在感を放っているのである。
(でもまぁよくここまで寝て居られるなぁ…)
本日の最後の授業である数学の時間に僕がそう思っていると、数学教師が香月さんに問題の解いを答えるように促した。
肝心の香月さんはというと、教科書もノートも開いたままそれをしたじきにして寝息を立てながら気持ちよさそうに眠っていた。
こうして見ていると、ピンクの、少しくるんとした髪型が絶妙に彼女に似合っており、どこか猫が昼寝をしているかのように思える。
…と、そこで、時間がどんどん経つにつれて教師の顔色が厳しいものに変わっていっていることに気が付いた。
「香月さん、当てられてるよ!」
そう小声で言いながら香月さんの肩を揺らすと、 その身体はのそのそと起き上がり、ぴょこんとはねたピンクの髪が揺れる。
「起きた?先生にらんでるからはやくした方が……」
僕はホッとしながらも、今の彼女の緊急状態を伝えようとした。
しかし、そんな僕の言葉にも耳を貸さずに香月さんは少しあくびをして再び顔を伏せた。
「香月さん?!」
焦りながらも、僕が再び彼女に触れようとした時…
「代わりに答えといてください……」
…一瞬で静かになる教室。いや、凍り付いたとでもいうべきか。暖かい陽気の中、香月さんから放たれた言葉だった。
クラスメイトも先生も唖然とする中、香月さんは自分のノートを僕に手渡す。
香月さんのノートは可愛らしい猫が表紙にあしらわれていて、おそらく問いの答えが書いてあるページを開いてくれている。…どのタイミングで描いたのかわからないが、ノートにはいびつな猫の落描きが描かれていた。
ノートを手渡されて反射的に受け取った僕は、みんなの視線をあつめながら、ノートの答えをつぶやくように読みだす。
「ええと…このY=f(X)のグラフをx軸の正の方向にp,y軸の正の方向にqだけ平行移動してできるグラフの方程式が…」
…
……
………
「…と、なることでy=a(x-m)2+nのグラフをx軸方向にp,y軸方向にqだけ平行移動してできるグラフの方程式は y-q=a(x-m-p)2+n………だ、そうです。」
みんなの視線が僕に集まっている。
永遠に続くような沈黙の中、先生がようやく「正解だ…。」と僕のほうを向いて言葉を放った。
そして丁度待ち構えていたかのように終礼のチャイムが鳴り、本日の授業は終了した。